2012年御翼6月号その4

『「自殺志願者」でも立ち直れる』  藤藪(ふじやぶ)庸一牧師

 「世界に良い影響を与える国」(主な8カ国とEUのみ)で、日本がリストのトップになっている(2012年)。最下位(9番目)はロシアで、米国は下から2番目であった。一方、「悪い影響を与えている国」のワースト3は中国、米国、ロシアであった(英国BBC放送による世論調査)。太平洋戦争後65年以上、戦争をしていない日本と、その後も軍事力にものを言わせる国々とでは、評価が違うのだ。そのとき、「日本はさすがだ」とか、「米国は悪い」などと言わずに、結果を見て、聖書では、「やっぱり神はそうされるのだ」という表現をする。
 世界に良い影響を与えているわりには、日本は自殺率が高い。年間約3万人、1日約90人の人が自殺しており、先進国G8の中でロシアに続き第2位となっている。この値は、異常な事態が日本に起こっていることを示しているが、まだ効果的な自殺対策はとられていない。
 紀伊半島の西側(徳島の向かい側)に、三段壁(さんだんべき)という自殺の名所がある。三段壁では、2008年(平成20年)には21人、2009年には10人が自殺により亡くなっている。近くの白浜バプテストキリスト教会・藤藪庸一牧師は、前任の江見太郎牧師に続いて「いのちの電話」の看板を立て、自殺志願者の救助活動をしている。これまでに500人近くの志願者の保護してきた。先生がこれまで関わった人々の「自殺を考えた理由」は、借金、失業、倒産、離婚、がんなどの重病、肉体・精神的な疲れ、精神疾患、失恋、いじめなどである。この人たちの共通点は、社会で孤立し、生きる意味や人生の価値を見出せず、目的を見失い、自らの命を絶つしかないところまで追い込まれていることである。誰も助けてくれない。生きる希望が見えない。絶望しているから死にたくなるのだ。しかし、多くの自殺志願者は、チャンスや希望があれば、もう一度やり直したい、と願っている。「誰か助けてくれる人がいれば、何かよい方法があれば、本当は生き続けたい」、藤藪牧師は、そういった思いを持つ自殺志願者と何度も出会ってきた。牧師は、三段壁から身を投げてたまたま助かった人を2人知っている。50代と40代のいずれも男性で、傷だらけ、ずぶ濡れで電話をかけてきた。どちらも仕事がなく生活苦で、家族や頼れる人もなく、絶望して自殺を考えた。「自分はどうかしていた。思い出すだけでも恐ろしい。二度と自殺はしません」いずれの人も同じ言葉を何度も繰り返し、まるで憑(つ)きものが落ちたような様子で、1〜2週間滞在してから仕事を見つけて自立していったという。死ぬしかないと考えていた人でも、その精神状態から抜け出すことができれば、再び生き直すことができるのだ。だから先生は、助けはここにあると、自殺志願者と遭遇した場合、徹底的にその人の話を聞き、自殺を思いとどまるように説得する。そして、戻る家や家族のある人は、心と体が落ち着くまで教会に滞在させ、帰る決心がついたら戻った先の近所にある教会などを紹介して送り出す。戻る場所のない人は、ほかの自殺志願者とともに教会で共同生活をしながら、職探しをして自立をめざす。
 神から与えられた命を自ら捨てることは、生きることを望んでいる神様の御心に反し、自分を生かしてくださっている神様を否定することになる。しかし、クリスチャンでも追い込まれてしまうケースはあるのだ。藤藪牧師も、23歳で牧師への道を歩み、教会の伝道師となった頃、理想と現実のギャップに悩んだ。飛び降りようなどとは全く考えなかったが、「早く天国に行きたいです、神様」と神に告白していた。1998年1月11日(日)の礼拝後、「もうこれ以上、伝道師は続けられない」と家に引きこもっていると、その夜、自宅の電話が鳴った。ハワイ出身の東京で牧師をしている友人からだった。「白浜に遊びに行きたいなあ」「おいでよ、ビーチはハワイみたいに白いで」と、旧友との会話で、心が温かくなった。
 受話器を置くとすぐに、埼玉にいたときにお世話になった、年上のクリスチャン男性から電話があった。とくに用事があるわけでもなかったが、「なんだ、元気ないな」と藤藪師の声を聞いて彼は言った。そして、突然、こんな話を始めた。彼は視覚障害者で、30代で視力を失い始めると、妻と離婚し娘とも別れて暮らした。絶望し、プラットホームに立ち、飛び込もうと一歩ずつ前に出た。しかし、最後の一歩がどうしても踏み出せない。何日もそれを繰り返しているうちに、一度だけ行ったことのある教会で聞いた説話がなぜか突然、脳裏に浮かんだ。それは、十字架で処刑されたキリストが甦り、復活したという聖書の話しだった。すると、「そうか、一歩前に進めば死ねるけど、一歩下がるともう一度人生をやり直せる」と感じたのだ。「藤藪君、よみがえる勇気だよ」早く天国に行きたいなどと悩んでいるとは彼に言っていないのに、力強く説得してくれたのだった。
 我に返った藤藪師が本棚を見ると、内村鑑三の『(続)一日一生』があった。結婚する前、妻がバレンタインデーにくれたものだった。そこに書かれていた内容に藤藪師は驚く。聖書の中にも、死にたいと思い悩む人が出てくるのだ。自分が努力したことが報われずに絶望し、死を願う。そのとき神が彼に伝えた言葉が書かれていた(原文は文語)。「あなたには仲間がいる。そしてあなたにはするべきことがある」と。その言葉を得て、自殺を思っていた人物は再び神様に従って行くのだ(注:列王記上19章に出てくる預言者エリヤのことであろう)。そして、内村鑑三は、「孤立と独立は違う」と言っている。独立とは神とともに独り立つことであり、独りでも立ち得ると同時に、他人と共に立つ。独立した人ほど多くの同志を持つものなのだ。それまで、孤立していると考え、絶望していた藤藪師は、もし内村が言うように、独りで立ち得るのであれば、決して孤立はしていないのだ。

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